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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)255号 判決 1965年8月31日

千葉銀行

理由

一、訴外日美印刷株式会社が昭和二九年九月八日債権者である訴外日本松脂株式会社から破産の申立を受け、翌三〇年八月六日東京地方裁判所において破産の宣告がなされ、控訴人が破産管財人に選任されたこと、これよりさき破産者日美印刷株式会社(以下破産者という)が昭和二八年七月一一日被控訴人から金七、八〇〇、〇〇〇円を利息日歩金二銭五厘弁済期同年一一月五日の約定で借受けたところ被控訴人において右破産申立後である昭和三〇年六月二八日に右貸金七、八〇〇、〇〇〇円およびこれに対する同日までの四五四日分の延滞利息金八八五、三〇〇円合計金八、六八五、三〇〇円の弁済を受けたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、ところで破産管財人たる控訴人は、破産者が右弁済をなしたのであり、かつ当時被控訴人において右破産申立のあつたことを知つていたから、右弁済行為を否認する旨主張するのに対し、被控訴人は右弁済は破産者によりなされたものではなく、訴外富本清太郎および同水瀬健治が弁済した旨主張し、この点が本件における主要な争点となつている。

(一)  《証拠》によれば、破産者が昭和二九年一二月七日その所有の箸袋製造印刷機一式を代金三〇〇、〇〇〇円にて訴外倉本博六に売渡し、同訴外人から同日内金一〇〇、〇〇〇円を、同年同月二〇日残金二〇〇、〇〇〇円を受領し、ついで翌三〇年五月一五日その所有の四六全版断截機一台および菊八頁活版印刷機二台を代金五〇〇、〇〇〇円にて訴外藤野淳に売渡しその頃同訴外人より右代金を受領したことが認められる。

(二)  次に、《証拠》によれば、訴外富本清太郎が昭和三〇年六月頃(イ)その所有の東京都台東区浅草橋二丁目二一番地の一家屋番号同町二一番木造鉄板葺平家建事務所一棟建坪二三坪七合五勺およびその敷地賃借権を訴外後藤七二郎に、(ロ)その所有の同所同番地の一家屋番号同町二一番三木造亜鉛葺二階建工場一棟建坪五〇坪二階五〇坪およびその敷地賃借権を訴外株式会社浅草橋生花市場にそれぞれ売渡し、訴外水瀬健治が同年五月頃その所有にかかる(ホ)同都杉並区高円寺二丁目四八番三宅地七〇坪四合二勺および(ヘ)同所同番九宅地五坪九合五勺を訴外石崎雅美に、なお同年一一月頃(ハ)その所有の同都台東区浅草橋二丁目一五番地の四家屋番号同町一五番九木造スレート葺二階建店舗一棟建坪八坪二階七坪五合を訴外藤岡乙吉にそれぞれ売渡し、以上の各売買代金の支払もすまされたことが認められる。

(三)  そして証人水瀬健治は原審(第一、二回)および当審において終始「破産者は昭和三〇年六月中に富本清太郎から同人の右売却代金五、四〇一、〇〇〇円を、水瀬健治から同人の右売却代金のうち金二、四八四、三〇〇円をそれぞれ借受けたうえ、この各借用金と前記各機械売却代金合計八〇〇、〇〇〇円とをもつて被控訴人の前記貸金全額の弁済に充てた」旨供述し、《証拠》によつて真正に成立したものと認められる甲第四号証、成立に争のない甲第五、六号証の各存在および記載は右供述に副い、原審証人塩谷芳男の証言中にも右供述に符合する部分が存する。

しかしながら、右甲号各証は下記認定のような経緯の下に作成授受されたものと認められるので、証人水瀬健治の右供述部分を裏付ける資料とはなりえないし、右供述部分およびこれに符合する原審証人塩谷芳男の供述部分も左記各証拠に昭らして措信し難く、その他この点についての控訴人主張事実を確認するに足りる証拠はない。

(四)  却つて《証拠》を綜合すると、次の事実が認められる。

水瀬健治は破産者の設立当初からの代表取締役社長としてその経営を主宰し、富本清太郎も取締役の一員となつていたところ、破産者が昭和二八年七月一一日被控訴人から冒頭記載のとおり金七、八〇〇、〇〇〇円を借入れるについて、右債務の担保として被控訴人のため、水瀬健治においてその所有にかかる前記(ハ)、(ホ)、(ヘ)の土地建物および(ニ)東京都杉並区高円寺二丁目四八番一宅地二九四坪三合九勺、(ト)同所同番地一家屋番号同町三番木造瓦葺平家建建物一棟建坪四四坪八合七勺五才付属木造亜鉛葺平家建建物一棟建坪三坪に対し、富本清太郎においてその所有にかかる前記(イ)(ロ)の建物に対し、債権元本極度額金七、八〇〇、〇〇〇円の根抵当権を設定してその旨の登記をなし、なお水瀬健治は右債務の連帯保証人ともなり(右根抵当権設定、その登記および連帯保証債務負担の点は当事者間に争がない)、また破産者自身その所有の前記各機械類を右債務の譲渡担保に供した(この点につき公正証書が作成される約束もなされたが、右証書は作成されないままに終つた)のであるが、その後破産者は営業不振に陥り、右債務の利息も昭和二九年四月一日以降の分を全く支払うことができず、同年六月取引停止処分に付せられるに至つた。そこでやむなく被控訴人は右各担保権の実行により貸金の回収を図ろうとしたのであるが、かような方法によるときは担保物が時価より低額に換価され債権の十分な満足がえられない恐れがあり、他方水瀬健治においても目的物の任意売却によつて負債を完済することを望んだため、担保提供者に右の方法を採ることを許し、右取引停止処分頃以降屡々破産者および水瀬らに対しその実行方を促がして来た。その結果、水瀬健治は叙上各担保物件のうち、前記(一)の各機械、(二)(イ)(ロ)の各建物およびその敷地賃借権ならびに(ハ)、(ホ)、(ヘ)の土地建物をそれぞれ上述のとおり他に売却処分した(右機械については破産者の代表として、(二)(イ)(ロ)の建物、敷地賃借権については富本からその処分および換価代金による債務弁済方の委任を受けて)うえ、機械売却代金以外の売買代金の大部分を昭和三〇年五月二日頃から同年六月二四日頃までの間前後六回にわたりその一部ずつの支払がなされる都度いずれも破産者名義の別段預金の形式で一応被控訴人に預け入れ、その預金総額が金九、四九七、九〇〇円に達した後、同年六月二八日右金員のうちから破産者の前記借用金債務元利合計八、六八五、三〇〇円を被控訴人に弁済した。その際、この手続を担当した被控訴銀行秋葉原支店係員は弁済に充てられた残余の金七四四、六五〇円を破産者に払渡す形をとろうとしたが、水瀬は、右別段預金はすべて同人ら個人の所有財産の売却代金にほかならないから、右余剰金を水瀬自身に返還するよう取り計らつてもらいたい旨申出で、この実情を知る右係員において同日右余剰金を水瀬健治名義の別段一時預り金となし、翌々三〇日同人が右金員の払戻しを受けた。なお右弁済当日、水瀬は、さきに破産者と共同して被控訴人に振出し交付しておいた金額七、八〇〇、〇〇〇円の約束手形一通(甲第六号証)と共に、右弁済金額についての破産者宛て計算書(甲第五号証)の交付を受けたが、その際、右支店より破産者宛ての弁済金受取証(甲第一号証)が発行された。(それは水瀬と同道した前記(二)(ロ)の建物、敷地賃借権の買主である訴外株式会社浅草橋生花市場の専務取締役山田文雄が特に抵当債権の消滅を証するために交付を受けて後に水瀬に渡した。そしてこれら受取証、計算書等が破産者宛てに記載されているのは、単に破産者に対する貸付金が返済されたことを表わすために銀行事務の取扱上そのように記載したものである。)

その後同年八月六日前記破産宣告がなされたのであるが、かねて破産者よりその経理事務の相談を受けてこれを指導していた経理士塩谷芳男はその頃水瀬から同人および富本各所有財産の売却、この代金による被控訴人への弁済ならびに破産者所有機械の売却等の事情を聴取した結果、会社経理の立場からすれば、一応水瀬、富本両名からその売却代金が破産者に貸付けられたうえ、破産者よりこの借入金と機械売却代金とで被控訴人に弁済したことに帰着すべく、かつ、右弁済に充てられた金員は控訴人主張のような数額に区分計算して記帳整理されるべきであると考え、同年同月三〇日控訴人より右弁済関係の説明を求められたときも右のような帳簿上の処理を要約した計算書(甲第四号証)を作成提示し、またかような観点にしたがい、富本においても破産者に対し右貸金債権ありとなしてその旨の破産債権の届出をなした(甲第三号証の一、二)。

かように認められ、原審証人塩谷芳男、原審(第一、二回)および当審証人水瀬健治の各供述中叙上認定に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右すべき証拠はない。

以上の認定事実よりすれば、被控訴人は水瀬、富本各所有の前記財産につき他の一般債権者に優先し、かつ個別的に、債権元本極度額金七、八〇〇、〇〇〇万円の範囲内において弁済を受けうる担保権を有し、直ちにその実行をなしうる立場にあり、なお水瀬は連帯保証人でもあつた関係上、右両名が被控訴人の破産者に対する返済の督促厳重となつた折柄、担保権実行による換価に代わる方法として被控訴人承諾の下に右各所有財産を任意売却し、これによつて取得した金員をもつて自から破産者のためその債務の弁済をなしたものであつて、ただ破産者の帳簿上の操作により被産者自身が両名より弁済資金を借り入れてその債務の弁済をなした形式が作出されたにすぎないものと認められる。

三、したがつて控訴人の本訴請求は爾余の諸点について判断をするまでもなく失当であるというべく、これを棄却した原判決は正当…。

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